昔のアルバムを取り出したら、27年前に行ったサイパン、グアムの初めての海外家族旅行の写真が出てきた。
もちろん当時はデジカメがなく銀塩写真。好きなだけ撮りまくるということはなく、人物中心の記念撮影のようなものばかり。
スキャナーでスキャンしたが、色あせもあり、ピンボケもありで修正にひと苦労。
どうにか、ホームページにアップしたが、家族のことを知らない者にとっては、何の面白味もないことだろう。
定年後のボケ防止のため、HPを開設し日常生活や旅行中にデジタルカメラで撮った写真を載せています。 また、パソコンでイラストらしきものを描いたり、画像ソフトで合成写真を作ったりして楽しんでいます。 デジカメ写真をもとに、パソコン生活の一端をログって行きたいと思います。
2013年12月28日土曜日
2013年12月23日月曜日
「喪中」とは?
年賀状の準備もあらかた終わった。どういうわけか今年は、喪中欠 礼の挨拶状が多かった。自分も含めて、そういう年代になってきた のかな。
不思議なことに、実の両親が亡くなった場合だけでなく、兄弟や義 理の親などの親族が亡くなったときにも、一律にその年は喪中と考 えられていることが多い。
調べてみると、喪中の対象範囲や期間は明治7年に出された太政官 布告で細かく定められている。
例えば両親の死亡の場合は1年、妻、兄弟姉妹は90日、妻の父母 はなし。
この考えは、明治42年の皇室服喪令にも取り入れられているが、 戦後になって太政官布告も皇室服喪令も廃止された。
だが、慣例として、この太政官布告が目安として残ったようである 。
しからば、なぜ両親以外の親族が亡くなった場合でも1年を喪中と する考えが広まったのだろう。
最近は年賀状を出さずにメールで年始挨拶をする人が増えて、売り 上げが激減したハガキ屋や印刷屋の戦略にはまっているのではなか ろうか。
勿論、死者に対する心遣いだという人もいる。その考えを否定する つもりはないが、私的には49日の忌明けが一つの目安になっても 良いのではないかと思う。
因みに、自分の場合、兄貴が夏に亡くなったときにも、妻の両親が死んだときにも喪中の挨拶状は出さず、年賀状を出していた。
不思議なことに、実の両親が亡くなった場合だけでなく、兄弟や義
調べてみると、喪中の対象範囲や期間は明治7年に出された太政官
例えば両親の死亡の場合は1年、妻、兄弟姉妹は90日、妻の父母
この考えは、明治42年の皇室服喪令にも取り入れられているが、
だが、慣例として、この太政官布告が目安として残ったようである
しからば、なぜ両親以外の親族が亡くなった場合でも1年を喪中と
最近は年賀状を出さずにメールで年始挨拶をする人が増えて、売り
勿論、死者に対する心遣いだという人もいる。その考えを否定する
因みに、自分の場合、兄貴が夏に亡くなったときにも、妻の両親が死んだときにも喪中の挨拶状は出さず、年賀状を出していた。
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